2019年の始まり、「こころの木」係にエッセイを送ってくださったのはKeikoさんです。
「三つの思い出のある四本の木」
私の記憶からすぐに飛び出てくる「三つの木」
ひとつは、我が家の前にあったリンゴの木
ひとつは、古い我が家の前に立っていた並んだ二本の杉の木
ひとつは、その近所に住む人が「うしろの山」と呼ぶ山のてっぺんにある「腰かけられる松の木」
すべては、小学、中学をともに成長した木です。
リンゴの木は、家の前にあり、ぶら下がりにちょうどいい枝ぶりで
私の両手の握力はここで育ちました。
そのリンゴの木は、私が中学になってから新しく家を建てたので
その時に切られ、なくなってしまいました。
二本並んだ大きな杉の木は、生まれてから住んだ
古い家の石垣の終わりのところにそびえ立っていました。
小学生の頃は、ちょうどよい枝の間隔で、てっぺんぎりぎりまで登って
南アルプスを一望していました。
私の体が大きくなると、するするとは登れなくなってしまいました。
最後に、もう一つの想い出の木は、近所の人たちが「うしろの山」と呼んでいた
名もなき山のてっぺんに生えていた松の木。
松茸がはえる山で、秋になると日曜の朝は
母と姉と三人で松茸を取りに山に入りました。
てっぺんにある松の木は、根っこが大変面白い形に成長していて
人が座れるような根の張り方をしていました。
腰かけるのに、ひと休みするためにあるような根を持つ松の木です。
たった一人ででも、おやつをもって
山のてっぺんに上り、その松の根に腰かけて
杉の木の眺めよりはるかに高い所から一望していました。
リンゴの木と、杉の木は、もうありません。
うしろの山の松は、もう何十年も見に行っていません。
それらの思い出の木は私が生まれる前からありました。
木の成長はまた、私の成長とともにありました。
三つの思い出のある四本の木。 (了)
Keikoさんのこころの木、あたたかな思いがじんわり伝わってきます。はるか遠い思い出でも、今はもうなくなっていても、心にしっかりと根を張る木があることを教えてくれますね。
追記に素敵なメッセージが添えられていました。
わが家の男の子三人の名前、最後の一文字はみんな「樹」。
紅一点の女の子にも「木」の字がついています。
私の想い出の木は、四本。
わが家にも木が四本。子どもたち一人一人が持つ「樹」と「木」。
私の旧姓もまた、「木」に関係します。
現在の名前には「水」の意味があります。子どもたちの名前の木を育てるかのように......。by Keiko
木とともに生きる幸せ。
木の成長を楽しむように、子どもの成長を見つめられる幸せ。
私の心もほっと、あたたかくなるエッセイ、ありがとうございました。
★書いた人:Keiko.Uさん(50代・女性)2019年1月29日