夏のある日、「世界樹を調べていたところ、ここにたどり着きました」とメールをくださいました。Kackeyさんの「木の記憶」です。
「大きな樹を抱いて生きる」
キリスト教の保育園に通っていた。
自分は特にクリスチャンではなかったが、何かに守られている園の空気は心地良かった。
優しい男の園長先生はたまに草笛を吹いて僕たちにいろんな曲を教えてくれた。
お泊り保育の日、その日は一日中雨が降っており僕たちは森の中にあるロッジでずっと部屋遊び。
やがて園長先生は一人一人園児の名前の意味や由来を語りはじめた。
皆が輪を作り、耳を傾ける。
僕の番になると園長先生は窓の外にある雨けぶる樹を指さし、「君はあの大きな樹のような人になって欲しくてお父さんお母さんはその名前を付けたのかもしれないね。」と伝えてくれた。
その日以来、ああ、自分は大きな樹なのだなとアイデンティティを持つようになる。
そういえば祖父も父も弟も樹に由来するボタニカルな名を持っている。
月日が流れ18歳になり僕はいつしか曲を作り歌うことをはじめ、次いで25歳からアフリカの太鼓を叩くようになった。
太鼓を叩いて歌うというスタイルに自然とたどり着いた。
アフリカの太鼓はストラップを両肩にかけ体の真ん中で叩く。
いろんな素材が生まれる現在にあっても、音楽家が奏でる楽器の殆どはいまだに樹で作られる。
まるで一本の樹を抱いているかのようであり、今では自分と一つになっている。
一昨年からなんという巡り合わせか、植物の生体電位を検出しシンセサイザーの音に変換する北イタリアで開発されたデバイスとセッションするようになった。
それは"植物音楽/Music of the plants"と呼ばれている。
現在、ピアニストシンガーと"大地の種"という名のユニットを組み、植物を感じ、大地を感じ、地球そして宇宙を感じる音楽を植物と共に発している。
園長先生、大きな樹は地球に根を張り、ただいま使命をまっとう中です。
★書いた人:植物音楽ユニット「大地の種」のKackey@dabigtreeさん。2019年7月31日