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こころの木、メイン画像

あなたの「木の記憶」を教えてください。
Memory of tree for you

あなたの心の中に、一本の木が立っていませんか。
子どもの頃、木のぼりをして遊んだ大きな木。
通学や通勤途中に毎日通る木。 旅先で偶然出会った木。
ふと思い出すことがある木、会えないと寂しい木、何かあると会いに行く木。
それは“こころの木”、あなたの人生を見守ってくれている木です。
木と過ごした時間、忘れられないエピソードなどを下記までご投稿ください。

あなたの木と、誰かがきっとつながっている。
誰かがあなたの木と新たに出会うかもしれない……。
こころの中に立つ木を通して、人と人とが結び合う―木の記憶―をわかち合いませんか。
あなただけのTree Memory「こころの木」をお待ちしております。

【投稿先】
杉原梨江子事務所「こころの木」係 宛て
Eメール tree@rieko-sugihara.com

【投稿方法】
1名前(匿名希望可)2年齢 3性別 4メールアドレス 5「こころの木」のエピソード
◎1~5を明記の上、上記アドレスまでお送りください。

【投稿にあたってのお知らせ】
◎お送りいただいたメールは、このサイト上で掲載させていただく場合がございます。
◎掲載をお願いする場合は、事前にメールでご連絡いたします。無断で掲載することはありません。尚、原稿の一部を修正させていただくこともございますのでご了承ください。
◎個人情報は厳重に保管、管理し、適切に取り扱います。

「大きな樹を抱いて生きる」―Kackeyさんのこころの木

夏のある日、「世界樹を調べていたところ、ここにたどり着きました」とメールをくださいました。Kackeyさんの「木の記憶」です。

「大きな樹を抱いて生きる」

キリスト教の保育園に通っていた。

自分は特にクリスチャンではなかったが、何かに守られている園の空気は心地良かった。

優しい男の園長先生はたまに草笛を吹いて僕たちにいろんな曲を教えてくれた。

お泊り保育の日、その日は一日中雨が降っており僕たちは森の中にあるロッジでずっと部屋遊び。

やがて園長先生は一人一人園児の名前の意味や由来を語りはじめた。
皆が輪を作り、耳を傾ける。

僕の番になると園長先生は窓の外にある雨けぶる樹を指さし、「君はあの大きな樹のような人になって欲しくてお父さんお母さんはその名前を付けたのかもしれないね。」と伝えてくれた。

その日以来、ああ、自分は大きな樹なのだなとアイデンティティを持つようになる。

そういえば祖父も父も弟も樹に由来するボタニカルな名を持っている。

月日が流れ18歳になり僕はいつしか曲を作り歌うことをはじめ、次いで25歳からアフリカの太鼓を叩くようになった。

太鼓を叩いて歌うというスタイルに自然とたどり着いた。

アフリカの太鼓はストラップを両肩にかけ体の真ん中で叩く。

いろんな素材が生まれる現在にあっても、音楽家が奏でる楽器の殆どはいまだに樹で作られる。

まるで一本の樹を抱いているかのようであり、今では自分と一つになっている。

一昨年からなんという巡り合わせか、植物の生体電位を検出しシンセサイザーの音に変換する北イタリアで開発されたデバイスとセッションするようになった。

それは"植物音楽/Music of the plants"と呼ばれている。

現在、ピアニストシンガーと"大地の種"という名のユニットを組み、植物を感じ、大地を感じ、地球そして宇宙を感じる音楽を植物と共に発している。

園長先生、大きな樹は地球に根を張り、ただいま使命をまっとう中です。

★書いた人:植物音楽ユニット「大地の種」のKackey@dabigtreeさん。2019年7月31日



「三つの思い出のある四本の木」―Keikoさんのこころの木

2019年の始まり、「こころの木」係にエッセイを送ってくださったのはKeikoさんです。

「三つの思い出のある四本の木」

私の記憶からすぐに飛び出てくる「三つの木」
ひとつは、我が家の前にあったリンゴの木
ひとつは、古い我が家の前に立っていた並んだ二本の杉の木
ひとつは、その近所に住む人が「うしろの山」と呼ぶ山のてっぺんにある「腰かけられる松の木」

すべては、小学、中学をともに成長した木です。
リンゴの木は、家の前にあり、ぶら下がりにちょうどいい枝ぶりで
私の両手の握力はここで育ちました。

そのリンゴの木は、私が中学になってから新しく家を建てたので
その時に切られ、なくなってしまいました。

二本並んだ大きな杉の木は、生まれてから住んだ
古い家の石垣の終わりのところにそびえ立っていました。
小学生の頃は、ちょうどよい枝の間隔で、てっぺんぎりぎりまで登って
南アルプスを一望していました。
私の体が大きくなると、するするとは登れなくなってしまいました。

最後に、もう一つの想い出の木は、近所の人たちが「うしろの山」と呼んでいた
名もなき山のてっぺんに生えていた松の木。
松茸がはえる山で、秋になると日曜の朝は
母と姉と三人で松茸を取りに山に入りました。
てっぺんにある松の木は、根っこが大変面白い形に成長していて
人が座れるような根の張り方をしていました。
腰かけるのに、ひと休みするためにあるような根を持つ松の木です。

たった一人ででも、おやつをもって
山のてっぺんに上り、その松の根に腰かけて
杉の木の眺めよりはるかに高い所から一望していました。

リンゴの木と、杉の木は、もうありません。
うしろの山の松は、もう何十年も見に行っていません。

それらの思い出の木は私が生まれる前からありました。
木の成長はまた、私の成長とともにありました。

三つの思い出のある四本の木。   (了)


Keikoさんのこころの木、あたたかな思いがじんわり伝わってきます。はるか遠い思い出でも、今はもうなくなっていても、心にしっかりと根を張る木があることを教えてくれますね。
追記に素敵なメッセージが添えられていました。


わが家の男の子三人の名前、最後の一文字はみんな「樹」。
紅一点の女の子にも「木」の字がついています。
私の想い出の木は、四本。
わが家にも木が四本。子どもたち一人一人が持つ「樹」と「木」。
私の旧姓もまた、「木」に関係します。
現在の名前には「水」の意味があります。子どもたちの名前の木を育てるかのように......。by Keiko


木とともに生きる幸せ。
木の成長を楽しむように、子どもの成長を見つめられる幸せ。
私の心もほっと、あたたかくなるエッセイ、ありがとうございました。

★書いた人:Keiko.Uさん(50代・女性)2019年1月29日

木のゆりかご

dh000050_081111_2.jpg 大きな木と出会った時、「この木とは心が通じ合うな」と感じると、私は両手を広げて、木を抱き締めます。
幹に背骨をぎゅうっとくっつけて寄りかかったりもします。
すると、まるで木の上で寝ているみたいな、木のゆりかごに乗っているような気持ち......。
写真はそうやって下から見上げたところ。
フィンランドの森で出会ったモミの木です。
幹から枝がぐぐーーんといくつも出ていて、
葉っぱは日本のモミよりずうっと長く垂れ下がっていて、
緑色のレースのカーテンみたい。
木洩れ陽がキラキラ透けて、とてもきれいでした。
出会った瞬間、胸が熱くなりました。
幹に寄りかかると涙がぽろぽろ。
心にたまっていたいろいろが全部流れていくみたい。
何故かしら......? 


そのモミの木は何百年も昔、その森で生まれ、
人々が天啓を得るために訪れた神聖な木だと聞きました。
モミは両手をいっぱいに広げて、私を抱き締めてくれました。
迷いも不安もその広い胸で全部受けとめてくれるみたいに。
あなたも心惹かれる木と出会ったら、木の幹に体を預けてみてください。
誰にも打ち明けたことのない、あなたの秘密をスッと受けとめてくれるかもしれません

dh000046_081111.jpg
★フィンランドの森で育つ天啓の木。昔も今も、人々はこの木の下で瞑想をするそうです。

書いた日:2008年11月11日
撮影した日:2005年5月

2015年、北欧の素敵な本をいただきました。
『フィンランド 森の精霊と旅する』
リトヴァ・コヴァライネン著

「新しい命を見守る桜」-ひよりさんのこころの木

ひよりさんが「こころの木」のエピソードを贈ってくださいました。
心の中に立ち続けている木、それは桜です。

s-IMG_0007.jpgのサムネイル画像 マンションのダイニングの窓から、大きな桜の木が見えていました。隣の社宅の空き地にひっそりと佇んでいる一本の大木でした。
春になると、見事なピンク色の花を枝が見えないほどゴージャスに咲かせていました。満開の桜の時期は、「私を祝福する為に咲いてくれている」と、勘違いするくらい親近感を持っていました。春の日以外も、目覚めると、桜の木を見て、どっしりと大地に生きている姿に力強さとやる気を覚えました。午後は、光の輝く緑の葉っぱに癒されて、夜は、静かにざわめく木の呼吸に落ち着いて安心しました。
ところが、数年過ぎたある日、桜の木がある社宅の土地は売却されることになったのです。桜だけは残してほしいと願っていましたが、「あと半年で伐られる」と耳にして、ショックを受けました。それからは、写真を撮ったり、絵に描いたりして、心に残そうと桜との時間を大切にしていました。でも、大事にしてきたこの桜の木を伐採する作業を平穏な気持ちで見ていることは到底できないと、想像しただけで悲しくなっていました。
伐採が決まった年、私は妊娠していて、ほとんどの時間、自宅にいたのです。伐採の日が近づくにつれて、私のお腹もどんどん膨らんできました。秋も深まり、私の出産日がくるのが早いか、伐採される日が早いか、と押し迫ってきていました。
キラキラとした朝日が桜の木を照らしていた朝、私は出産のために入院しました。今日でこの桜ともお別れかも......と直感で感じましたが、不思議なことに、悲しい感情は少しもなく、最高の祝福の感情だけが、心を埋めつくしていました。
名残り惜しい気持ちはすっかり消えていて、桜の木に「一緒にいてくれてありがとう」と自然に声をかけていました。
3週間後、私は赤ちゃんとともに自宅に帰ってきました。
窓の外には、あの愛していた桜の木は、もうありませんでした。茶色い土埃の立つ更地になっていました。
ちょうど桜が伐られる日、私は出産していたかもしれない......。桜の木の魂が、新しく生まれた命を見守ってくれる、と想像するとなんだか嬉しくなりました。
それから間もなくして、新しい住まいに引っ越しました。ダイニングの窓からは素敵な桜の木が見えます。
今度の家では、数本の桜の木がいっぺんに見えて、楽しんでいます。
「桜の木は、きれいだね、お母さんの大好きな木だよ」と言って、子どもと一緒に眺めています。  (了) 


桜の木の魂が新しく生まれた命を見守ってくれているようです。
ひよりさん、エピソードをありがとうございました。そして、赤ちゃんのお誕生、おめでとうございます。

★書いた人:ひよりさん。2013年11月。

  s-IMG_0482.jpg

"自分の木"を見つけよう

01.jpg古代ケルトでは木にまつわるこんな風習がありました。
子どもが一人で散歩できるようになったら、親はこう言います。
「森に入って、"自分の木"を見つけておいで。大丈夫、無理やり見つけようとしなくても、木がおまえを見つけてくれるから」
子どもは一人で森の中に入り、"自分の木"を探します。
どの木かな? ときょろきょろしながら、森の中を歩いていると、一本の木がじっとこちらを見ていることに子どもは気づきます。
木が、子どもを見つけてくれたのです。
自分の木と出会ったら、木に寄り添って、両手で抱き締めます。樹皮に触れ、匂いをかぎ、樹液が流れる音を聴きます。
そして、自分の秘密をひとつ打ち明けるのです。すると、木も秘密を教えてくれます。
これで二人(木と子ども)は絆を結んだことになり、生涯にわたって、子どもを見守ってくれる木となるのです。
あなたにとって、"自分の木"とはどんな木でしょうか。
思い出してみてください。
これまでの人生をずっと見守り続けてくれた木の記憶を......。

あなたの"こころ"に響いた自分の木について、お聞かせください。

【投稿先】
杉原梨江子事務所「こころの木」係 宛て
Eメール tree@rieko-sugihara.com

※投稿に当たっての注意事項はこちらをご覧ください。

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