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宇宙樹の庭 メインイメージ121209更新

世界中に、木と人とがこころを通わせる物語が残っています。
誰もが行けるわけじゃない、幻かもしれない森の奥……、
大きな木のある大きな庭―「宇宙樹の庭」のことをお伝えします。

新芽を食べる4頭のシカー宇宙樹にすむどうぶつたち

むかしむかし、ある星の上に、大きな木が1本、立っていました。その木がいつから立っているのか、だれも知りません。あんまり大きい木なので、だれも木のてっぺんを見たことがありません。あんまり大きい木なので、本当に木が立っているのかどうかも、じつはわからないのです。

その木にはいろいろな動物たちがすんでいます。リスのラタトスクのことは前にお話ししましたね。今日はシカに会いに行きましょう。

大きな木にはシカが4頭、住んでいます。シカの名前はちょっと変わっています。4頭の中で、いちばんりりしい顔をした、シカの名前は「ダーイン」です。ダーインという言葉は「死」という意味なんです。こわいですね。4頭の中で、いちばんなさけない顔をした、シカの名前は「ドヴァリン」。この名前は「躊躇(ちゅうちょ)する者」という意味なんです。いつも何かなげいています。あとの2頭は名前の意味はわかっていません。4頭の中でいちばんニヤけた顔をした「ドゥネイル」、4頭の中でいちばん甘えん坊の顔をした「ドルラスロール」。4頭はとてもなかよしでしたが、とにかく性格がみんなあまりにちがうので、いっしょにそろって何かをすることは苦手でした。それぞれのシカが好きなように気ままに1日をすごしていました。木のてっぺんのワシと問答しに行くものもいれば、リスのラタトスクを1日中からかっているものもいます。寝てばかりのシカもいるし、木の枝の間をかけまわって、体をきたえているものもいます。それぞれがわが道をゆく、という感じですね。

ダーイン、ドヴァリン、ドゥネイル、ドルラスロール、4頭そろって、することが1つだけありました。大きな木の枝から新芽が出ると、食べちゃうこと。もぐもぐ、もぐもぐ。新芽が出る頃には、一致団結して、どこから芽が出てくるかを見つけるのです。そして、4頭がいっせいに新芽を食べるから、葉っぱはなかなか成長しませんでした。大きな木はシカたちに食べられないように、木のてっぺんのほうとか、折れそうな細い枝の先っちょとか、シカが来そうにないところに芽を出すのですが、シカたちは必ず新芽を見つけて、どうにかこうにかして、食べに来るのです。

ほら、今日も、新芽の香りがただよっています。ダーインは鼻をくんくん、ドヴァリンは耳をぴくぴく、ドゥネイルは目をキョロキョロ、ドルラスロールは舌をペロペロ。大きな木、どこから新芽を出しているのかな? シカたちが目くばせしています。あっ、かけ出しましたよ!

2019.2.27


リスのラタトスクー宇宙樹にすむどうぶつたち

むかしむかし、ある星の上に、大きな木が1本、立っていました。その木がいつから立っているのか、だれも知りません。あんまり大きい木なので、だれも木のてっぺんを見たことがありません。あんまり大きい木なので、根っこがどこまでのびているか見当もつきません。本当に木が立っているのかどうかも、じつはわからないのです。大きすぎて、人間の目には見えないのですから。

私が知っているのは、その木にはいろいろなどうぶつたちがすんでいること。リス、ワシ、竜、4頭のシカ。今日から少しずつ、あなたにどうぶつたちのお話をしましょう。

最初にご紹介するのはリスのラタトスクです。名前の「ラタトスクRatatoscr」は「かじる歯」という意味です。北欧にすんでいるリスですから、私たちがよく知る、しっぽがシマシマのシマリスとは姿がちがいます。寒い北海道にすむエゾリスを想像すると近いかもしれませんね。

朝、ラタトスクは清らかな水のしずくで目覚めます。3人の運命の女神さまが毎朝、水をまく、じょうろの水が降ってくるからです。大きな根元に湧くウルズの泉からくんできた水はとても神聖な水です。心もからだも魂も、清らかに浄化してくれます。だから、前の日にどんなにイヤなことがあったって、ラタトスクはすがすがしい気持ちで朝を迎えられるのです。

女神さまたちが毎日水をまいてくれるおかげで、大きな木は永遠に枯れないと、むかしからいわれています。女神さまは3姉妹で、命あるものの寿命と運命を決めるのですが、そのことはまたいつかお話ししましょう。

あ、ラタトスクが走り始めましたよ。きょろきょろしています。上を見上げたり、下をのぞきこんだり。

木の上からは「早く上がって来いよー」という声。
根っこのほうからは「おまえ、俺よりあいつを選ぶのか!?」という声。

じつはラタトスク、木のてっぺんにいるワシと、根っこのところにいる竜ニーズへグの悪口を伝える役目をしているんです。ワシと竜はとても仲が悪くて、1日中、相手をこきおろす言葉をはき続けています。

木の頂上で、「俺さまがいちばん!」と思っているワシは、横柄な態度で竜をバカにします。
地界にすむ竜は、地獄の底からうめくようなしゃがれ声でワシをののしり続けます。

でも、大きな木の上と下、声がとどきませんから、ラタトスクの出番となるのです。

朝から晩まで、人(どうぶつですが)の悪口を聞いて、告げ口をするラタトスク。気がめいっちゃいそうですね。でも、ラタトスクにはやめることができないのです。どうして、こんなことをすることになったんでしょう。

あっちにもこっちにもいい顔して、あることないことをどちらにも告げる人って、私たちのまわりにもいますよね。悪意に満ちて言う人もいるけれど、どっちにもいい顔していないと不安でしかたない、気弱な心がそうさせている人もいそうです。

ラタトスクの本心はどこにあるのかな。そのうち、聞いてみましょうね。

2019.2.7

宇宙樹って、なんの木?

宇宙樹って、どんな木? なんの木? 
あなたは不思議に思っているかもしれませんね。
北欧神話に登場する「宇宙樹ユグドラシル」。
天と地とを貫く大きな1本の木が世界を支えている、と神話は語ります。
地球のどまん中に、大きな大きな大きな木が立っていると想像してみてください。
あまりにも大きいので、私たちには見えません。でも、その木はたしかに立っているのです。

木の種類はトネリコの木だとか、いやいやイチイだとか、学者さんは言いますが、よくわかっていません。「イチイだ!」と主張する学者さんの言い分はこうです。「ユグドラシルは、毎朝、運命の女神ノルンたちが水をまくので永遠に枯れないし、葉っぱも落ちない。だから、落葉樹のトネリコじゃないに決まってる。常緑樹のイチイだよ」。

ここで言うトネリコは、ヨーロッパ全域に生育するセイヨウトネリコ(モクセイ科 学名:Fraxinus excelsior L.)です。秋になると、葉っぱを落とします。日本の園芸店で見かける観葉植物のシマトネリコとはちがう木ですから、ご用心。一方、イチイはというと、針葉樹で、秋になっても葉っぱは落ちません。赤い実をつけます。樹齢2000年をこえる長寿の木で、薬とされてきた歴史もあって、古来、聖なる木として崇拝されてきました。イチイ派の学者さんはこの聖樹としての存在も宇宙樹にふさわしいと考えているみたいですね。

私たちは木の種類はまあ、気にしないでおきましょう。ご縁があって、このページを読んでくださっているあなたには、北欧神話の宇宙樹がどんなにステキな木かってことを知ってほしいだけなんです。

想像してみてください。
目を閉じて・・・あなたの心の中に、大きな1本の木を。大きな大きな大きな、大きな大きな木。
地球のどまん中に立っている木ですよ。 

想像できましたか? 
ちょっと近づいてみましょう。
もう少し、もっと近くまで・・・もうちょっと、1歩2歩3歩・・・近づいてみてください。
あ、リスが幹の上を走り回っていますよ。

そう、宇宙樹にはいろんなどうぶつが棲んでいます。たとえば、
4頭のシカ。新芽が出るとすぐ食べちゃう。
ワシ。目と目の間にタカをのせています、ナゾ!
竜のニーズへグ。宇宙樹の根っこをかじっています。この竜の根元にはヘビがうようよ。
リスのラタトスク。ワシと竜の悪口を伝える役目をしています、これもナゾ。

これからご紹介するのは、宇宙樹ユグドラシルに棲んでいる、どうぶつたちのおはなし。。。

2019.2.5

ユリの教会

引っ越しをした。荷物を全部運びこむと、ちょっとほっとして、近所を散歩することにした。どんな町だろう。てくてく、てくてく。新しい家のそばには小さな川が流れている。せせらぎの音も聞こえないほど、小さな川だ。川の流れをさかのぼって歩いていると、ちいさな教会に出た。門には白い看板があった。

「どうぞ、ご自由にお入りください。教会の中ものぞいてください」

入っていいんだ・・・。門を入ると、デージー、パンジー、忘れな草などが咲く、かわいい庭があり、4人がけのテーブルが並んでいる。石の回廊を歩いた先に、教会の扉があった。木造の大きな扉で、わっか型の鉄の錠。ぎぎぎー。そっとあけると、ユリの花のむせかえるような香りに包まれた。白いユリ。誰もいない。響きわたる賛美歌。私はその荘厳さに圧倒されて、しばらくの間、立ちつくし、ユリの香りと美しい歌声に心をゆだねていた。木のベンチには生花のユリが飾ってあった。ひと束ひと束、ベンチのバージンロード側の端に飾られている。祭壇のそばには30輪はあろうかという大輪のユリの花が壺に生けられていた。香りはこの花々から立ち上っていた。なんて、贅沢な。本物かしら。花びらを触ってみた。やわらかい。やっぱり本物のユリだ。素朴な、ちいさな教会だけれど、生花のユリを教会いっぱいに飾るような、優しい心のオーナーなのだろう。新しい町で初めて入った教会はユリの香りで満ちあふれ、私を迎えてくれていた。ここに引っ越してくるまで不安だった。決断が正しかったのかどうか、わからなかった。そこへ、この純白のユリのお出迎え。「大丈夫、ようこそ、いらっしゃい」と、この地の神様たちが言ってくれているような、祝福の花束をくださったような気持ちになる。ここで生きていっていいんだよ。そう、大いなる天からGOサインを出されたような気持ちであった。

数日経って、再び、ユリの香りに満たされたくて、教会に入った。あれ・・・。香りがしない。白いユリは造花だった。ユリの香りと思っていたのは、木造建て独特の木の匂いのようだった。あの日に私を包んだ、むせかえるようなユリの香りも、花びらの感触も偽物だったのだろうか。それとも、この地に暮らすことを決めた私への神様からの贈り物―命あるユリ−だったのか。どちらにしろ、この教会は私の憩いの場所になり、時々訪れるようになった。ステンドグラスは美しく、賛美歌は心おだやかになる。誰もいない祭壇に座り、しばらく時を過ごすひとときはきっと、かけがえのないものになっていくだろう。何年も経った時、新しい私をつくりだす大切な時空として、忘れられない存在となるだろう。

木のゆりかご

dh000050_081111_2.jpg 大きな木と出会ったとき、「この木とは心が通じ合うな」と感じることがあります。
そんなとき、私は両手を広げて、木を抱きしめます。
幹に背骨をぎゅうっとくっつけて、寄りかかったりもします。 
すると、まるで木の上で寝ているみたいな、木のゆりかごに乗っているような気持ち......。
写真はそうやって下から見上げたところ。
フィンランドの森で出会ったモミの木です。
幹から枝がぐぐーーんといくつも出ていて、
葉っぱは日本のモミよりずうっと長く垂れ下がっていて、
緑色のレースのカーテンみたい。
木洩れ日がキラキラ透けて、とてもきれいでした。
出会った瞬間、胸が熱くなりました。
幹に寄りかかると涙がぽろぽろ。
心にたまっていたいろいろが全部流れていくみたい。
何故かしら......? 

連れて行ってくれた人にあとで聞くと、このモミの木は何百年も昔むかし、この森で生まれ、
人々が天啓(てんけい)を得るために訪れた神聖な木でした。やっぱり・・・。
モミの木は、両手をいっぱいに広げて、私を抱きしめてくれました。
迷いも不安も、その広ーい胸で、まるごと受けとめてくれるみたいに。
あなたも、心惹かれる木と出会ったら、木の幹に体をあずけてみるといいですよ。
寄りかかったり、ハグしたり、根元に寝ころんだり。
誰にも打ち明けたことのない、あなたの心のことばにじっと、耳を傾けてくれると思います。

dh000046_081111.jpg
★フィンランドの森で育つ天啓の木。昔も今も、人々はこの木の下で瞑想をするそうです。

書いた日:2008年11月11日
撮影した日:2005年5月

2015年、北欧の素敵な本をいただきました。
『フィンランド 森の精霊と旅する』リトヴァ・コヴァライネン著

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