日比谷公園の首賭けイチョウ Gingko in Tokyo
大切な人を守る
記憶をもつイチョウ
ひとりの男が守り抜いたイチョウです。
男の名前は本多静六。「日本の公園の父」といわれ、日比谷公園を始め、明治神宮の森や全国の公園を創った林学博士です。一代で巨億の富を築いたことでも有名で、その思想は現代にも通じる成功哲学として信頼されています。
明治32年頃、道路拡張のため伐られそうになったのを本多氏が「私の首をかけても移植させる」と言って守ったため、この呼び名になりました。
彼が守ったイチョウは今、大きく成長し、そこにあるのがあたり前の存在として私たちを楽しませてくれます。特等席はレストラン「松本楼」の窓際。木の命の力を感じながら食べたり話したりしていると、気心の知れた友達が隣にいるように思えてきて、ほっとあたたかな気持ちになるのは私だけでしょうか。一緒に過ごした人との時間がその時々の木の風景とともに思い出に変わる幸せ。イチョウの記憶の中にも、守ってくれた人やそこで過ごした人への思いはきっと残っていると思います。人と木とが共存する喜びを伝えてくれる木です。
◎樹種/イチョウ(イチョウ科)
◎樹齢/約400年
◎樹高/約21.5m
◎幹周り/約6.5m
◎所在地/東京都千代田区日比谷公園 レストラン松本楼前
(2013年7月現在)
苦竹のイチョウ Gingko in Miyagi
故郷を思う人々の
希望の実りの乳銀杏
長い歳月を生きてきたイチョウならではの乳柱がいくつもいくつも垂れ下がっていることにまず驚きます。しかも長く、太い。最も太い乳柱は周囲1.7メートルもあり、その先が地中に根ざして新しい幹のように育っているものもあるそうです。
奈良、平城京が栄えた時代、聖武天皇の乳母の遺言で植えられたという言い伝えのあるイチョウ。現在は個人の屋敷の中に立っています。
「苦竹(にがたけ)」とは大正時代までのこの地域の名前。今はこのイチョウにちなみ、「銀杏町」となりました。一本の木が地名まで変えてしまうなんて、それだけ地元の人々の心に根ざしている大樹なのでしょう。
私が訪れたのは2011年秋。乳柱が涙を流しているようにも見えました。見上げると、乳柱のそばには可愛い実が鈴なりに実っています。毎年変わらず芽を出し、実をつけ、やがて金色に染まる。生の営みを一千年を越えて繰り返してきたイチョウ。大きな悲しみのあとの実りには希望の果実を見つけたような気がしました。
◎樹種/イチョウ(イチョウ科)
◎樹齢/約1200年
◎樹高/約32m
◎幹周り/約7.2m
◎所在地/宮城県仙台市宮城野区銀杏町
(2011年9月現在)
鶴岡八幡宮の大イチョウ Gingko in Kamakura
不死鳥のように蘇り
夢の成長をもたらす芽
ドンドンドーンッ。2010年3月10日。樹齢一千年の大イチョウのご神木が倒れました。地響きとともに雷が落ちたような大きな音がしたと地元の人が言っていました。かつて立っていた場所に大きな木がなくなることがこれほど喪失感を感じさせるとは......。
当初、再生は難しいと心配されていましたが、1カ月後には新しい芽を出し始めました。その生命力の強さ! ちぎれたような幹の残骸からも、移植された幹からも葉が次々と出て、細い枝もぐんぐんと上に伸びています。芽吹きの姿に勇気づけられた人は多いでしょう。生長エネルギーが盛んな大樹の前に立つと、自分の夢にも成長の力を与えてくれるように感じてきます。
そして今、現在の姿が右下の写真です。たった一本なのはなぜ? じつはこれこそ、このイチョウを蘇らせるヒミツ。鶴岡八幡宮の神主さんによると、この枝は将来、大木になる可能性のある一本だそうです。たくさんの芽が出ていた中から、専門家が調査し、選び出しました。木の栄養分をその一本だけに集中させるため、ほかの芽は全部取り除いたのだそうです。私が前に見た、木の根っこ全体をおおうように育っていたイチョウの葉はほとんど刈り取られ、この枝一本だけが残されたのです。現在も、新しい芽が出るとこまめに刈るようにしているのだそう。ほかの芽が出ていると、栄養が行き渡らなくて、結局どの芽も育たないことになってしまうからです。
この小さな、細い枝がこれから太く、背も高くなっていくのを見つめていきたいですね。
けれど......このイチョウが見上げるような大樹に戻る頃、今この世にいる人間は誰ひとり生きてはいません。
木の生命力の強さ、いのちの長さに圧倒されます。私たち人間は木に看取ってもらう存在なのだなあと思います。
◎樹種/イチョウ(イチョウ科)
◎樹齢/約1000年(爺杉)
◎樹高/約20m
◎幹周り/約6.7m
◎所在地/神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31 鶴岡八幡宮内
(2012年6月現在)