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宇宙樹の庭 メインイメージ121209更新

世界中に、木と人とがこころを通わせる物語が残っています。
誰もが行けるわけじゃない、幻かもしれない森の奥……、
大きな木のある大きな庭―「宇宙樹の庭」のことをお伝えします。

ユリの教会

引っ越しをした。荷物を全部運びこむと、ちょっとほっとして、近所を散歩することにした。どんな町だろう。てくてく、てくてく。新しい家のそばには小さな川が流れている。せせらぎの音も聞こえないほど、小さな川だ。川の流れをさかのぼって歩いていると、ちいさな教会に出た。門には白い看板があった。

「どうぞ、ご自由にお入りください。教会の中ものぞいてください」

入っていいんだ・・・。門を入ると、デージー、パンジー、忘れな草などが咲く、かわいい庭があり、4人がけのテーブルが並んでいる。石の回廊を歩いた先に、教会の扉があった。木造の大きな扉で、わっか型の鉄の錠。ぎぎぎー。そっとあけると、ユリの花のむせかえるような香りに包まれた。白いユリ。誰もいない。響きわたる賛美歌。私はその荘厳さに圧倒されて、しばらくの間、立ちつくし、ユリの香りと美しい歌声に心をゆだねていた。木のベンチには生花のユリが飾ってあった。ひと束ひと束、ベンチのバージンロード側の端に飾られている。祭壇のそばには30輪はあろうかという大輪のユリの花が壺に生けられていた。香りはこの花々から立ち上っていた。なんて、贅沢な。本物かしら。花びらを触ってみた。やわらかい。やっぱり本物のユリだ。素朴な、ちいさな教会だけれど、生花のユリを教会いっぱいに飾るような、優しい心のオーナーなのだろう。新しい町で初めて入った教会はユリの香りで満ちあふれ、私を迎えてくれていた。ここに引っ越してくるまで不安だった。決断が正しかったのかどうか、わからなかった。そこへ、この純白のユリのお出迎え。「大丈夫、ようこそ、いらっしゃい」と、この地の神様たちが言ってくれているような、祝福の花束をくださったような気持ちになる。ここで生きていっていいんだよ。そう、大いなる天からGOサインを出されたような気持ちであった。

数日経って、再び、ユリの香りに満たされたくて、教会に入った。あれ・・・。香りがしない。白いユリは造花だった。ユリの香りと思っていたのは、木造建て独特の木の匂いのようだった。あの日に私を包んだ、むせかえるようなユリの香りも、花びらの感触も偽物だったのだろうか。それとも、この地に暮らすことを決めた私への神様からの贈り物―命あるユリ−だったのか。どちらにしろ、この教会は私の憩いの場所になり、時々訪れるようになった。ステンドグラスは美しく、賛美歌は心おだやかになる。誰もいない祭壇に座り、しばらく時を過ごすひとときはきっと、かけがえのないものになっていくだろう。何年も経った時、新しい私をつくりだす大切な時空として、忘れられない存在となるだろう。

冬、木は葉っぱのたまごを育てている

s-tengu shide in Hiroshima.jpg 冬の宇宙は、「たまご」を抱えている木たちがいっぱい。

一本の木を見かけたら、枝の先っちょを見てみてください。小さな芽がふくらんで、葉っぱのたまごをあたためています。春になれば、たまごが割れて、淡い緑色の芽の赤ちゃんが顔を出すのです。

写真は広島県大朝町にある樹齢約130年、真冬の天狗シデ。


葉っぱのたまご 

冷たい冬
樹木はじっと耐えているように見えるけれど 
じつは違います。
葉っぱを落として、枝だけのシンプルな姿になって
新しい命を育てているのです。
枝の奥のほうに小さな小さな
人間の目には見えない葉っぱの卵を。
早くに春を迎える樹木は雪の降るなか
新芽の赤ちゃんを枝の先に抱いているものもいます。
幸せな気持ちで出産の準備をしている木々たち。
ぶるぶる震えながら、冬の寒さを我慢していると思うのは
人間の勝手な思い違い。
大好きなことをしているとき、誰もつらくはありません。
嬉しい気持ちでいっぱいです。
あなたが今、いちばん幸せに思うことは何ですか?
時間が過ぎるのも忘れて、打ちこんでしまう夢の卵。
誰に見られなくても、誰に気づかれなくても
あなたが嬉しいこころで重ねたことは
きっと、きらきらと輝く新芽となって
人生という春にいっせいに芽吹いていくことでしょう。


天狗シデの群生(カバノキ科・イヌシデ)
◎樹齢約130年
◎樹高12m・幹周り3m、県指定天然記念物
◎所在地/広島県山県郡大朝町
◎この木に会うには/高速バス・大朝インター下車、徒歩20分

書いた日:2009年1月6日(2016年3月7日UP)

「生命の樹(宇宙樹)」を知っていますか?

IMG_7360_R.JPG 思えばずっと、宇宙樹を求めて、私は「木」の世界へと導かれてきたように思います。
2003年、北欧神話の宇宙樹ユグドラシルは私が暗闇から抜け出すきっかけとなってくれました。
2005年、ウィーンで偶然出会った古代ケルトの聖なる樹は私に誰かのために"書く喜び"を教えてくれました。
2008年から続けていた、故郷ヒロシマの被爆樹をめぐる取材と撮影の旅は昨年、一冊の本にまとめることができました。
『被爆樹巡礼~原爆から蘇ったヒロシマの木と証言者の記憶』
2016年、被爆71年目から80年へと新たな取材を始めました。 

2011年3月11日に起きた東日本大震災は、今の私には何ひとつできないことを痛感した出来事となりました。今、フクシマはOn goingの厳しい現実が続いています。原爆取材を通して、また、福島出身の人々との出会いを通して、できることを少しずつ、続けていきたいと思います。

そして今、美しい花々に誘われて、花と果実の神話の旅へ出かけたところです。
みなさまに報告することがたくさんあります。木のいのちの力、再生の力、人間の生きる力、愛する力。これからももっと増えていくでしょう。
「木」は、「花」は、私に何を現世でさせようとしているのか、いつかこの世を去る日にわかるのだと思います。 



戦後70年目の2015年7月出版
『被爆樹巡礼~原爆から蘇ったヒロシマの木と証言者の記憶』(実業之日本社刊)

※写真:花咲くボダイジュ(in ケルトの町ベナトキ,チェコ,2012年6月撮影) 


書いた日:2016年2月22日(月)

2016.1.6メルマガ「生命の樹World Treesシリーズ」

IMG_1656バリ島のガジュマル 候補1_R.jpg 「生命の樹」を知っていますか?
「大きな1本の木が世界を支えている」という樹木神話が世界各地にあります。生命の樹は、世界樹World Tree 、宇宙樹Cosmic Tree、Tree of Life などとも呼ばれ、宇宙の生成を木によって象徴しています。
遡れば、古代メソポタミア(シュメール文明)の時代から古代エジプト、古代インド、古代北欧など、多くの古代文化において、「生命の樹」にあたる木が存在しています。樹種は気候や風土によって様々です。代表的なものに、北欧神話に登場する世界樹ユグドラシルのトネリコ、お釈迦様が悟りを得たインドのボダイジュ、古代エジプトに壁画が残るイチジクの木......。
毎回1つの樹種を取り上げて、木の文化と歴史、神秘の物語世界へお連れします。
1年を通して「生命の樹」をたどっていくと、日本のご神木と海外の聖なる樹との共通点が見つかるかもしれないと、私自身、とても楽しみにしています。

 
 
【メルマガのお知らせ/毎月2回(6日、21日)配信中】
連載フォトエッセイ『foomii杉原梨江子の聖樹巡礼~巨樹が語る森の知恵』
今年2016年1月6日から「生命の樹World Treesシリーズ」を始めています。

『foomii杉原梨江子の聖樹巡礼~巨樹が語る森の知恵』生命の樹シリーズ 
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★写真:バリ島のガジュマル。ご神木として祀られ、街のあちこちに立っていました。
書いた日:2016年2月22日(月)

妖精が小さいとは限らない

ちびちゃんたちは、突然大きくなることがあります。

昨年の秋、急に大人になったのでびっくりしました。

女の子のちびちゃんは、私よりも背が高く、すらりとした腕と脚を持った、とても美しい女の人でした。私のベッドに腰かけて、髪をとかしていました。

ちびくんは前髪が少し額にかかったかっこいい男の人です。ちょっと妻夫木くんに似ています。

もう一人の男の子ちびたんはいつものように寝そべっていましたが、なにしろカラダが大きいので、じゃまになってしまいます。私が座るところを占領しないで!と何度言ったかわかりません。 あの、ちっちゃなちっちゃなちびちゃん、ちびくんたちはもういないのかしら?と思ったら泣けてきました。でも数日経つといつの間にか、大人のちびちゃんたちは元通りの小さな妖精に戻って、私のまわりをちょこちょこ歩き回っていました。

ちびくんは私の背中に登るのが好き、ちびたんは私の肩に座って、一緒に出かけます。

女の子のちびちゃんは部屋でお留守番。今は白い毛糸の帽子、白いふわふわの毛のブーツを履いて、おしゃれを楽しんでいます。一体、どこでそんな素敵な洋服を手に入れるのかしら?といつも不思議に思います。夏の間は、茶色いポッケがついた緑色のノースリーブ・ワンピースを着ていたのですから。

妖精が大きくなったり小さくなったりすることは、結構あることなのだと後で知りました。

アイルランドの詩人、イェイツが『ケルト妖精物語』(井村君江編訳・ちくま文庫)の中で、こんなことを言っています。

「妖精たちを小さいものとばかり思ってはいけない。何をしても気まぐれであるから、背丈すらも気分次第、自分の好きなように背丈や姿を変えるらしい」

書いた日:2009年1月12日(2016年3月7日UP)

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