№44 三篠神社のクスノキ in Hiroshima
鎮守の森を取り戻した神社の
境内で生き続ける樹齢120年の木
A-bomebed Camphor tree in HIROSHIMA
【木の特徴―幹に空洞、ヤケドあと】
社殿前に立つ被爆クスノキ。樹齢は約120年。注連縄がはられ、ご神木として親しまれています。幹には火災で焼かれたヤケドのあとがあり、幹には空洞があります。樹皮は苔むして、ノキシノブ、セッコクなどに覆われ、古木の風格を漂わせています。
原爆投下後、焼きつくされた境内に「鎮守の森」を取り戻そうと、植えた木々の1本です。神社近くの民家に立っていた兄弟クスを譲りうけたそうです。(もう1本は三篠小学校の校庭内に立ち、こちらも被爆樹木№43として保護されている)。
このクスノキは被爆による空洞や傷あとが目立ちますが、枝葉がどんどん繁るため、年に一度、枝を伐り落とすことで保護しています。この伐られた枝を持ち手に使って、2023年、熊野の化粧筆が作られました。
【被爆を伝える―焼け野原から鎮守の森を取り戻した宮司さん】
当時、小学6年生だった宮司の野上さん(故人)は、父親(当時の宮司)と一緒に、この地に「鎮守の森」を取り戻すことを決めました。「森を育てないと何も始まらない」と思ったからです。クスノキの種を畑にまき、苗木を育てることから始めました。その種は樹齢500年の夫婦クス(広島市西区・新庄之宮神社)から採取したものをゆずりうけました。
それから植樹。焼きつくされた境内に、成長の早いイタリアポプラ、ハリエンジュ、日本ならではの椿、梅なども植えました。植えると言っても、現在のように園芸店から苗を買ってくるわけではありません。野上少年と父親、知り合いのおじさんの3人で、山の中や斜面に生えた木を掘り起こし、長い道のりを大八車で境内まで運び、植えたそうです。化粧筆となった被爆クスノキはこうして植えられた木の1本です。
木々が育つのをじっと待って、待って、鎮守の森らしい境内を取り戻したのは昭和40年頃といいます。種から育てたクスノキも今では幹周り3メートルにまで成長して、境内いっぱいに葉を繁らせています。
長い歳月をかけて、鎮守の森を取り戻した野上さん家族。登録されているクスノキだけでなく、被爆を伝える木がたくさん立っているのが三篠神社です。注連縄のある木のほとんどが当時、宮司さんたちが運んで植えた木。今も元気に育つ姿を見てください。
【この木に会いに行こう!】
アクセス:広島電鉄電車「横川」下車、徒歩5分。
≪DATA of A-Bombed Trees≫
Camphor tree in Misasa Shrine
1,850m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age:about 120 years old
height:15m
address:1-11-5 Misasa-machi, Nishi-ku, Hiroshima city
This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1,850m from the hypocenter. At 8:15 a.m, August 6,1945,Hiroshima was burned by the blazing heat of the atomic bomb. It had been rumored that"nothing will grow in Hiroshima for 70 years".Mr,Nogami and his father had regained Chinju-no-Mori (Sacred Shrine Forest)
★Let's go to see this tree !
5 minute walk from the Yokogawa station. There is this tree in Misasa shrine. There is other A-bombed tree, including a Japanese quince.