№44 三篠神社のボケの花 in Hiroshima
焼け野原となった鎮守の森で、
唯一生き残ったボケの花
A-bomebed quince in HIROSHIMA
【被爆樹 花めぐり】The flowers in the atomic bomb-scorched earth. Let us go to see the Atomic Bombed flowers!
▼爆心地からの距離:1,850m/広島市西区三篠町1-11-5
▼バラ科・落葉低木
▼樹齢70年以上 樹高:1.5m 枝張り:1m
▼開花時期:3月末~4月初旬
【木の特ちょう―毎春、花を咲かせる】
原爆が落とされる前は、樹齢300年のエノキ、ムクノキ、クスノキなどが青々と茂る美しい鎮守の森でした。1945年8月6日、木々はことごとく焼失し、木に棲んでいたフクロウやムクドリなど動物や鳥たちも焼け死んでしまいました。すべてが焼き尽くされたと思われていましたが、原爆投下の翌年のこと、土の中から芽が出てきたのが見つかりました。「おう、このボケは生きとるわ!」根の力が残っていて、芽吹くことができたのです。それ以来ずっと、ボケの木は大切に見守られてきました。芽の数を増やし、今では細い幹の数十本が1本の太い幹のように見えるほどに成長し、毎春になると美しい花を咲かせます。白、ピンク、オレンジ色、白と紅の混ざった花・・・など、さまざまな色が一緒に咲いています。3月下旬頃から満開になります。宮司の野上さん(故人)「日の明るいうちにいらしてください。14時頃までかのう。花びらが太陽の光で透き通って、とてもきれいですからね」とアドバイスをいただきました。2017年4月3日撮影
【被爆を伝える】
当時、小学6年生だった宮司の野上さんは、父親と一緒にこの地に「鎮守の森」を取り戻すことを決めました。何から始めたと思いますか? クスノキの種を畑にまき、苗木を育てることから始めたのです。種は、樹齢500年の夫婦クス(広島市西区・新庄之宮神社)から採取したものを分けてもらいました。境内にはハリエンジュ、イタリアポプラ、椿、梅なども植えて育つのをじっと待ちました。植えると言っても、今のような園芸店から苗を買ってくるわけではありません。野上少年と父親、知り合いのおじさんの3人で、山の中や斜面に生えた木を掘り起こし、長い道のりを大八車で境内まで運び、植えたそうです。被爆樹木のクスノキもこのとき献木されたものです。
鎮守の森らしい境内を取り戻したのは昭和40年頃。種から育てたクスノキも今や72歳を迎えます。幹周り3メートルにまで成長して、境内いっぱいに葉を繁らせています。注連縄のある木はほとんどが当時、宮司さんたちが運んで植えた木。今も元気に育つ姿を見てください。
【この木に会いに行こう!】
路面電車「横川」下車、徒歩5分。
≪DATA of A-Bombed Trees≫
Japanese quince/Misasa Shrine
1,850m from the hypocenter
botanical name:Chaenomeles speciosa
age:about 70 years old
height:1.5 m
address:1-11-5 Misasa-machi, Nishi-ku, Hiroshima city
This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1,850m from the hypocenter. The quince blooms in spring and bears fruit by summer. Mr,Nogami and his father had regained Chinju-no-Mori (Sacred Shrine Forest)
★Let's go to see this tree !
5 minute walk from the Yokogawa station. There is this tree in Misasa shrine. There is other A-bombed tree, including a camphor tree.
広島市登録の被爆樹木にはプレートがつけられています。