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№49 千田公園のクスノキ並木 in ヒロシマ

被爆した時と同じ場所で、
22本のクスノキが並んで立っています 
A-bomebed Camphor tree in HIROSHIMA

IMG_5389_R.JPG ▼爆心地からの距離:2,030m/広島市南区千田町3-7
▼クスノキ科・落葉高木 
▼樹齢:不明 
▼樹高:不明 幹周り:不明

【木の特ちょう―被爆当時と同じ場所に多数の木】
被爆した時と同じ場所で、22本のクスノキが並んで立っています。移植されず、数多くの被爆樹木が現存しているのは珍しく、貴重。千田公園の東側に、クスノキ並木が230メートルにわたって続きます。2015年5月撮影

【被爆を伝える】
当時、クスノキ並木が立っていたのは広島工業専門学校の校庭です。1045年8月6日、爆風で建物は倒壊しましたが、校内は火災を免れました。そのため、木はほぼ無傷で、被爆当時と同じ場所で現存する理由と推測されます。広島市「被爆樹木」の登録制度が始まった1996年にはシダレヤナギも立っていたが、2002年に枯死し、幹の一部が広島平和記念資料館に保存されている。
★下写真:被爆当時、広島工業専門学校の倒壊した正門。(資料協力:多山壽夫氏(被爆当時18歳)母校会報誌より)
14122718 (2)_R.JPG
【この木に会いに行こう!】
路面電車「広電本社前」電停下車、徒歩5分。

≪DATA of A-Bombed Trees≫
Camphor tree/The Senda Park 
2030m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age:? years old
height:? m
surroundings:?m
address:3-7Senda -cho Minami-ku ,Hiroshima city

Theas trees survived the atomic bombing of Hiroshima, about 2030m from the hypocenter. 
★Let's go to see this tree !
30 minute walk from the A-bomb Dome. There are 22 trees standing around the Senda Park.

IMG_5386_R.JPGクスノキ並木の1本は樹冠がハート形をしています。


20 被爆樹木・長崎医大付属医院のクスノキ in ナガサキ(Bランク)

大きく傾くが、大地にどっしりと根を張っている 
原爆投下の翌年芽生えた、平和のシンボル   
A-bomebed Campher tree in NAGASAKI

IMG_3055 (2)_R.JPG
▼爆心地からの距離: 700メートル
▼クスノキ科・落葉高木
▼樹齢:不明
▼樹高:?m/幹周り:?m
▼所在地:長崎市坂本1丁目7-1 長崎大学歯学部付属病院 玄関前
▼Bランク 

【木の特徴―大きく傾いている】
長崎市登録「被爆樹木」の中でも、ひと際大きいのがこのクスノキです。幹がかなり傾いていますが、根は大地にしっかりと張って、堂々と立っています。被爆した木とは思えないほど樹勢よく、樹冠もまんまるく、葉が繁っています。被爆当時、このクスノキは旧病院玄関建物の横に立っていました。原爆によって立ち枯れた状態となり、枯死したと思われていましたが、翌年に新しい芽を出し、人々を驚かせました。その生命力の強さに、病院復興に立ち上がった教職員の多くが勇気づけられたと伝えられています。

【被爆を伝える ―長崎医科大学(旧 長崎醫科大学)】
<被爆当時の状況>
長崎医科大学は爆心地から東南東へ約500mの丘の上にありました。1945年8月、本来は夏季休暇中ですが、非常短期速成で休暇を返上して講義が行なわれていました。8月9日11時2分、原爆が投下され、本館と校舎などの76棟のうち65棟は倒壊、さらに火災が発生し全焼。死亡者数は、付属医院、大学関係者、学生を合わせて898名(原爆復興50周年記念長崎医科大学原爆記録集第1巻・平成8年調査後1名追加)が犠牲となりました。講義中だった5つの講堂の焼け跡からは、教授は教壇に、学生は机に着席したままの姿の遺骨が発見されました。

<旧配電室(現在のゲストハウス)>
爆心地から1キロ以内に残る被爆建造物の1つで、ほぼ原型のまま残った配電室。戦前のコンクリートは小石を混ぜ、川砂で気泡を詰めたもので、分厚いコンクリート造りの建物であったため倒壊を免れたと考えられています。 戦後1965(昭和40)年に改修され、現在は外国人留学生や研究者の短期宿泊用施設として使われています
 
【解説】Bランク:原爆により何らかの影響を受け、<こん跡>が認められるもの、または、こn跡は認められないが、当時の社会的状況をとくに強く示唆するもの。(「長崎市被爆建造物等の取り扱い基準」保存対象のランク付けの基準より抜粋)
 
IMG_3037_R.JPG <正門門柱>
国指定史跡「長崎原爆遺跡」指定(2016年10月3日)。現在の長崎大学医学部の裏門(図書館の裏)に、旧長崎醫科大学時代の正門門柱が被爆当時のまま保存されています。1.2メートル四方、高さ2.1メートル(土台部分を含む)。門柱の側面にある石板にこう書かれています。
「1945年、昭和20年8月9日、よく晴れし日の午前11時2分、世界第2発目の原子爆弾により、一瞬にして、わが師、わが友850有余名が死に果てし長崎医科大学の正門門柱にして、被爆当時の儘の状態を生々しく此処に見る」
爆風の影響で、前方に約12センチずれ、後方は台座と約15cm浮き上がり、正面に約10度傾いたままになっています。
※参考文献:長崎大学医学部ホームページ
長崎観光情報「ここは長崎ん町-長崎原爆遺跡巡り」http://isidatami.sakura.ne.jp/
 
【この木に会いに行こう!】
JR長崎駅から路面電車「赤迫(あかさこ)」行で、「大学病院前」電停前で下車。徒歩5分。

≪DATA of A-Bombed Trees≫
The Camphor tree/the Nagasaki University School 700m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age: 70 years old over
height:? m.
surroundings:?m
address:1-7-1 Sakamoto,Nagasaki city
This tree survived the atomic bombing of Nagasaki, about 700m from the hypocenter. The tree is standing in front of entrance in the Nagasaki University School. June,2017 Shooting
 
★Let's go to see this tree !
10 minute walk from the Nagasaki University Hospital station.

25 被爆樹木・住吉神社のクスノキ in ナガサキ(Cランク)

原爆を生きのびた、住吉さんのシンボル
幹のまわりをぐるりと絵馬が囲んでいます    
A-bomebed Campher tree in NAGASAKI

IMG_3223_R.JPG ▼爆心地からの距離:2,100メートル
▼クスノキ科・落葉高木
▼樹齢:約300年
▼樹高:?m/幹周り:?m
▼所在地:長崎市住吉町13-6
▼Cランク 

【木の特徴―爆心側に傷あと】
住吉神社の拝殿の前に立つクスノキのご神木。原爆投下によって、幹を残して、枝葉は吹き飛ばされました。爆心側の幹に被爆の影響と思われる傷あとがあります。幹の周囲にぐるりと絵馬が飾られ、この木が大切にされていることが伝わってきます。

【被爆を伝える 一被爆狛犬】
被爆した狛犬がいます。ところどころが欠け、爆風のすざまじさを現代まで伝えています。

【この木に会いに行こう!】
JR長崎駅から路面電車「赤迫(あかさこ)」行で、「住吉」電停前で下車。徒歩3分。この辺りの地名「住吉」は住吉神社があるのが由縁。祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)から御霊分けされたお稲荷さん、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)も祀られています。

【解説】Cランク:被爆当時の木ではあるが、被爆のこん跡が希薄であり、社会的な関連も希薄なもの。(「長崎市被爆建造物等の取り扱い基準」保存対象のランク付けの基準より抜粋)

≪DATA of A-Bombed Trees≫
The Camphor tree/the Nagasaki University School 2,100m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age: about 300 years old
height:? m.
surroundings:?m
address:13-6 Sumiyoshi-cho,Nagasaki city

This tree survived the atomic bombing of Nagasaki, about 2100m from the hypocenter. The tree is standing in the Sumiyoshi-jinja shrine. June,2017 Shooting
 
★Let's go to see this tree !
5 minute walk from the Sumiyodhi station.

№17堀北端、RCC北西側のクスノキ in 広島城    

原爆による被爆のあとが痛々しい木  
火が燃え移り、ひどいヤケドを負いました 
A-bomebed Camphor tree in HIROSHIMA

IMG_3992_R.JPG 【被爆樹(ヒバクジュ)の傷あと】 
Scars of A-Bomebed Tree 
原爆からよみがえった木の多くが「被爆の傷あと」を残しています。今日は<ヤケドあと>のある木を紹介します。

▼爆心地からの距離:1,120m/広島市中区基町21
▼クスノキ科・落葉高木 
▼樹齢70年以上 樹高:11m 幹周り:2.8m

【木の特ちょう―ヤケドのあとがある】
爆心地とは反対側の根元に大きな「ヤケドあと」があります。そばにあった建物で火災が発生し、近くに立っていたクスノキに燃え移ったからです。樹皮が焼けただれたようになり、ウロもできています。傷口をふさぐにはまだ時間がかかりそうです。幹が大きく曲がっているのは、原爆による爆風で折れた後、現在の向きに枝が生長したとされています。木は、8月6日の記憶をしっかりとその姿に刻んでいます。しかし、痛々しさはありません。むしろ堂々と、自分の傷をさらして、「よく見ろ! 原爆がつくったこのひどい傷あとを」と言っているような、潔さを感じるクスノキです。2015年5月撮影

【被爆を伝える】
木の後方に見えるのが広島城。現在、国の史跡となっています。原爆で倒壊、焼失しましたが、1958年、広島城郷土館(現在の博物館「広島城」)となり、城内を見学することができます。

【この木に会いに行こう!】
路面電車「紙屋町東」から徒歩20分。広島城大本営跡から石橋を渡り、裏御門跡を出て、中国放送(RCC)本社を右手に見ながら、外堀を歩いて約5分ほど。

≪DATA of A-Bombed Trees≫
Camphor tree/Castle Mort (north side) 
1120m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age:over 70 years old.
height:11m
surroundings:2.8m
address:21 Moto-machi Naka-ku, Hiroshima city

This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1120m from the hypocenter. The tree is bent due to the atomic bombing. The trunk has burn by fire. The Hiroshima castle tower was also destroyed by the atomic bomb but rebuilt in 1958 as a history museum. Apr,2015 Shooting
★Let's go to see this tree ! 20minute walk from the A-bomb Dome. There is this tree in Hiroshima-jo Castle. There is other A-bombed trees, including Eucalyptus, Giant pussy willow, hackberrys

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№16基町交番前のクスノキ in Hiroshima

被爆樹の中でいちばん背が高い木  
原爆の影響が肥大した根に見られます 
A-bomebed Camphor tree in HIROSHIMA

IMG_6749 (2)_R.JPG 【Scars of A-Bomebed Tree】
原爆からよみがえった木の多くが「被爆の傷あと」を残しています。今日は<爆心地と反対側の生育が旺盛な木> を紹介します。原爆の被害を直接受けなかった幹や枝、根は、爆心側より生長が旺盛で、肥大生長する傾向にあります。根がよく発達したり、新しい枝の発生も多いのが特ちょうです。

【木の特ちょう―根が大きく張っている】
被爆樹の中で最も背の高い木です。爆心地の反対側の根が盛り上がるように肥大しています。原爆投下の翌年の春、芽を出し、ぐんぐん生長して、今では20メートルを越す高さになっています。2015年5月撮影

【被爆を伝える】
被爆クスノキは高層マンションのそばに立っています。被爆後、タンスの材料として伐採されようとしていた時、当時の市の担当者によって救われたと伝えられています。近くにある基町高等学校は原爆によって、生徒や教師369人が亡くなりました。1947年、現在の場所に移転されました。 【この木に会いに行こう!】 路面電車「紙屋町西」で下車、徒歩約20分。基町高層アパート群の前庭に立っています。相生橋を渡り、本川(旧太田川)沿いを歩いていくと、この木に会うまでに2本の被爆ヤナギを巡ることができます。fbページ・トップ写真「青少年センター西側のシダレヤナギ」と「こども文化科学館東側のシダレヤナギ」です。
※市営基町高層アパート:建築家・大高正人氏が設計。彼は前川国男氏の弟子で、その前川氏はル・コルビュジェの建築事務所に勤務していたことがあります。この高層アパートはル・コルビュジェの集合住宅ユニテ・ダビタシオンUnité d'Habitationに強く影響を受けているといわれています。2013年度、「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されました。

参考文献:論文『広島市における被爆樹木が爆心地との位置関係において示す樹形異常』著者:大脇なぎさ、鈴木雅和、堀口力(平成26年度日本造園学会善行大会研究発表論文集32)

≪DATA of A-Bombed Trees≫
Camphor tree/Moto₋machi Police Box
1,090m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age:over 70 years old.
height:23m
surroundings:5m
address:20 Moto-machi Naka-ku, Hiroshima city

This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1090m from the hypocenter. This tree was going to be cut as materials of the chests, but it was saved by a man. Now,this tree is the tallest of all A-bomb trees. May,2015 Shooting ★Let's go to see this tree ! About 30minutes walk from the A-bomb Dome. There is this tree front of the Moto-machi apartment buildings. The buildings built in the 1970s. Otaka Masato (1923-2010) designed them. His teacher, Maekawa Kunio (1905-1986) was a student of Le Corbusier. So you can see strong influence of Le Corbusier on these apartment buildings.
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