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1 被爆樹木・城山小学校のカラスザンショウ in ナガサキ(Aランク)

ナガサキの被爆樹木を見直すきっかけとなった木 
枯れ木となっても、平和のシンボルであり続ける   
A-bomebed Prickly Ash in NAGASAKI


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▼爆心地からの距離:約500メートル
▼ミカン科・落葉高木
▼樹齢:70年以上生き、枯死
▼樹高:約6メートル/横幅:最大約80センチ
▼所在地:長崎市城山町23-1
▼Aランク 

【木の特徴―枯死してなお、大切に保存されている】
爆心地からわずか500メートルに位置する小高い丘の上にある城山小学校の被爆樹木です。1945年8月9日11時2分、原子爆弾が炸裂(さくれつ)。城山国民学校の敷地内にある木々はなぎ倒され、焼け野原となりました。 このカラスザンショウも被爆しましたが、生き延びました。樹皮の半分がはがれ、大きな傷あとを残す痛々しい姿で、そばに立つムクノキに寄りかかるようにして生きていました。残念ながら、2016年7月に枯死が確認されましたが、被爆の継承のため、保存措置が施され、被爆の傷跡を残す姿で残されています。 2021年、劣化が激しいため、屋外から、小学校内の被爆遺構「旧城山国民学校校舎」の2階に移され、屋内で展示されています。 同校の敷地内には、今も元気に葉を繫らせる「双子(ふたご)クスノキ」もあります。

【被爆を伝える 一城山小学校(旧城山国民学校)】
原爆によって、1400余名の児童、28名の教職員が亡くなりました。被爆後も教室として使われていた校舎を被爆遺構として1999年2月に改築。現在は、被爆時の遺物などを展示する資料館になっています。ここには長崎の原爆を知るためのDVDも豊富にあります。

じつは、長崎市の被爆樹木の保護が見直されるきっかけとなったのが、このカラスザンショウが枯れたことでした。それまで被爆樹木の多くは忘れ去られ、その木が立つ周囲の人々しか知らない存在でした。カラスザンショウが枯れたとき、木を処分することを聞いた人たちが「原爆を生き延びた木を守らなくては!」と立ち上がりました。多くの子どもたちや近所の人たちに親しまれ、平和のシンボルでもあった木を残したいという願いが募り、カラスザンショウは枯死してなお、保存することが決まりました。
そして、翌年2017年には、長崎市が被爆樹木の本格的な調査を始め、約45本が保護の対象となり、樹木医さんによる定期的な治療も始まりました。所有者の中には、自分の家の木が被爆樹木だと知らない人も多くいたほど、忘れられた存在だったんですよ。
2021年11月には新しい被爆樹木2本(カキノキとアラカシ)が登録されるなど、原爆を伝える貴重な存在として、生き続けています。

【この木に会いに行こう!】
路面電車(長崎電気軌道)で、「長崎駅前」電停から赤迫行きに乗車、「平和公園」電停で下車、徒歩約5分。城山小学校内の被爆校舎(長崎被爆遺構・旧城山国民学校校舎)2階に展示されています。

【被爆樹木のランク】
Aランク:原爆の熱線、爆風及び放射線により破壊、または著しく影響を受け、原爆のすさまじさを感じさせる<こん跡>のあるもの、著しいこん跡は認められないが、当時の社会的状況をとくに強く示唆するもの。(「長崎市被爆建造物等の取り扱い基準」保存対象のランク付けの基準より抜粋)

【関連情報】
長崎くすのきプロジェクト:長崎市の被爆樹木のくわしい解説、被爆樹木マップ(爆心地からの距離がわかるもの)がご覧になれます。
https://nagasaki.kusunoki-project.jp/page/tree/detail_01.html

≪DATA of A-Bombed Trees≫
The Japanese Prickly Ash/The Shiroyama Elementary Schook 500m from the hypocenter botanical name:Japanese Prickly Ash
age: ? years old
height:? m.
surroundings:?m
address:Nagasaki city
This tree survived the atomic bombing of Nagasaki, about 500m from the hypocenter. The tree is standing in the Shiroyama Elementary School. There are other A-bombed trees, including a Camphor tree June,2017 Shooting
 
★Let's go to see this tree !
10 minute walk from the Matsuyama station.

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生命の木・平和の贈り物 in 長崎平和公園

オーストラリアから寄贈された「木」のモニュメント
ヒバクシャは世界中にいる、と伝える平和のシンボル
Tree of Life in Australia

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▼所在地:長崎市松山町 長崎平和公園内
▼オーストラリア連邦・フリーマントル市寄贈
▼2016年4月18日設置

長崎平和公園の中に、【生命の木】という名の「平和のモニュメント」があります。1950〜60年代のイギリスによる核実験で被ばくしたオーストラリア南部の先住民の子孫であるアーティストが制作したものです。2016年、オーストラリア連邦・フリーマントル市から寄贈されました。現在、海外から贈られたモニュメントではいちばん新しいもの。ヒバクシャは世界中にいる、それを伝えるシンボルです。

【生命の木】は、万物に神(精霊)が宿るという自然崇拝の神話や伝説にはよく登場します。「1本の木がこの世界(宇宙)を支えている」という考え方は世界中にあり、死後も再び蘇るという生命循環の思想が根幹にあります。オーストラリアの先住民にも共通する考え方でしょう。祖父母や親が亡くなったのちも、核兵器による苦しみを忘れない、被ばくの現実を伝えていこうという意志、真の平和への願いが込められていると思います。

【この木に会いに行こう!】
長崎平和公園「願いのソーン」内。路面電車「松山」駅下車、徒歩約5分。「平和の泉」から「長崎の鐘」へと進む道なりにあります。

<碑に書かれた解説>
この木からは、食べ物や水のほか、赤ん坊を運ぶための器(ピティ)が作られます。ピティは平和と調和のために家族、コミュニティ、そして国同士により分かち合うことを象徴しています。 世界中にヒバクシャ、その中でも長崎・広島の被爆者、オーストラリアのマラリンガ、エミュー・フィールド、モンテ・ペロ諸島での英国による核実験を被曝したオーストラリア先住民、軍人、民間労働者、そして、その子孫へ想いを込めて造られたものです。
このモニュメントは、ヤラタとオークバレー/マラリンガの先住民アナング族コミュニテイ(南オーストラリア州)、オーストラリア平和主張会議、コックバーン市ならびにスピアコ市(西オーストラリア州)の協力のもと、オーストラリア連邦フリーマントル市から寄贈されました。
2016年4月、アナング族指導者とオーストラリア平和主張会議により序幕

≪DATA of Monument≫
Tree of Life-Gift of Peace/The Nagasaki Peace Park
address:Matsuyama-machi, Nagasaki city

The tree gives life to make the piti(dish) that is used for carrying food,water,and babies. It represents the sharing of rescuces between families, communities and nations for peace and harmony. In recognition of atomic survivors worldwide,including Hibakusha of Nagasaki and Hiroshima; and Indigenous Australians,service personnel and civilian workers, and their descendants,affected by British nuclear testing in Australia ato Maralinga, Emu Field and Monte Bello Islands/

★Let's go to see this tree !
There is a monument in the Nagasaki Peace Park. 5minute walk from the Mastuyama station.

2 被爆樹木・山王神社のクスノキ in ナガサキ(Aランク)

長崎原爆から蘇った「被爆樹木」のシンボル 
山王神社のクスノキ   
A-bomebed Camphor tree in NAGASAKI


IMG_2787_R.BMP ▼爆心地からの距離:800メートル
▼クスノキ科・落葉高木
▼樹齢500〜600年
▼樹高:21m/17.6m. 幹周り:8m/6m
▼所在地:長崎市坂本2―6―56
▼Aランク 

【木の特徴-大きなウロがある】
山王神社には2本のクスノキが立ち、夫婦楠として地元の人々に親しまれています。シンガーソングライター福山雅治さんの歌「クスノキ」のモデルとなった木です。宮司さんによると、「戦前はもっと大きくて、境内に広い影を作るほどだったんですよ」。
1945年8月9日11時2分、長崎市に原子爆弾投下。強烈な爆風と熱線によって、枝も葉も吹き飛び、幹は途中から折れて、黒焦げになりました。被爆直後の無惨な姿が白黒写真に残されています。焼け野原となった境内に立つ2本のクスノキは現在、同じ場所で大きく成長し、堂々たる姿で参拝客を迎えています。幹には大きなウロ(穴)や傷あとがあります。中程にある穴の中には石がゴロゴロと入っています。木のそばに設置された階段を上ると、ウロの中が見られるようになっていますので、のぞいてみてください。

【被爆を伝える 一本柱鳥居】
参道にある二の鳥居は、1本だけで立つ「一本柱鳥居」。爆心地側の左半分が吹き飛ばされたが、右側は残り、根元には折り鶴が捧げられています。この鳥居のことも、福山さんの歌に登場しますね。

【解説】Aランク:原爆の熱線、爆風及び放射線により破壊、または著しく影響を受け、原爆のすさまじさを感じさせる<こん跡>のあるもの、著しいこん跡は認められないが、当時の社会的状況をとくに強く示唆するもの。(「長崎市被爆建造物等の取り扱い基準」保存対象のランク付けの基準より抜粋)

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【この木に会いに行こう!】
路面電車で浦上駅前で下車。徒歩10分。

≪DATA of A-Bombed Trees≫
Camphor tree/The Sannou-Jinja Shrine 800m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age: 500-600 years old
height:21m/17.6m.
surroundings:8m/6m
address:2―6―56 Sakamoto,Nagasaki city

The trees survived the atomic bombing of Nagasaki, about 800 m from the hypocenter. Two trees are standing in the Sannou-jinja shrine. June,2017 Shooting

★Let's go to see this tree !
15 minute walk from the Uragami station.

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6 被爆樹木・原爆資料館の淀川ツツジ in ナガサキ(Aランク)

家族の形見として大切に育てられたツツジ 
被爆40年目の年、長崎市に寄贈されました   
A-bomebed Azarea in NAGASAKI


IMG_2940_R.JPG ▼爆心地からの距離:1,100メートル
▼ツツジ科・常緑低木
▼樹齢:70年以上
▼樹高:?m. 幹周り:?m
▼所在地:長崎市平野町7-8
▼Aランク

【木の特徴―幹に傷あと、移植】
被爆40年目の昭和60年10月4日、長崎市木原町の造園業、池田操氏が長崎市に寄贈したツツジ。池田氏の家の周辺は竹林、庭の木のほとんどが立ち枯れた状態でしたが、このツツジと松、柿など数本が生き残りました。ツツジは幹に被爆の傷痕がありますが、毎年、ピンク色の花を咲かせます。

【被爆を伝える 一家族全員が死亡】
池田操さんとともに語り継ぎたいツツジです。昭和21年1月、中国大陸から復員してみると、家族全員が亡くなっていました。実母、愛する妻と生後8か月の長男ら家族5人。家族みんなで優しい色の花を楽しんだ時もあったことでしょう。戦後、どんな思いでこのツツジを育て続けられたか、もう聴くことはできませんが、1人の男性の家族への思いが込められたツツジです。

【この木に会いに行こう!】
JR長崎駅から路面電車「赤迫(あかさこ)」行で「浜口町」電停下車、徒歩約5分 。原爆資料館の庭園内。 

【解説】Aランク:原爆の熱線、爆風及び放射線により破壊、または著しく影響を受け、原爆のすさまじさを感じさせる<こん跡>のあるもの、著しいこん跡は認められないが、当時の社会的状況をとくに強く示唆するもの。(「長崎市被爆建造物等の取り扱い基準」保存対象のランク付けの基準より抜粋)


≪DATA of A-Bombed Trees≫
The Azarea/Nagasaki City - Peace & Atomic Bomb Museum
1100m from the hypocenter
botanical name:Rhododendron
age: 70 years old over
height:? m.
surroundings:?m
address:7-8 Hirano-cho Nagasaki-city
This tree survived the atomic bombing of Nagasaki, about 1100m from the hypocenter. The tree is standing in the garden of the Peace & Atomic Bomb Museum. There are other A-bombed trees, including a Japanese White Pine. June,2017 Shooting
 
★Let's go to see this tree !
5 minute walk from the Hamaguchi-cho station.




6 被爆樹木・原爆資料館の五葉松 in ナガサキ(Aランク)

家族の形見として大切に育てられた松 
被爆40年目の昭和60年、長崎市に寄贈されました   
A-bomebed White Pine in NAGASAKI


IMG_2938_R.JPGのサムネイル画像 ▼爆心地からの距離:1,100メートル
▼マツ科・常緑高木
▼樹齢:89年
▼樹高:?m. 幹周り:?m
▼所在地:長崎市平野町7-8
▼Aランク 

【木の特徴―移植】
被爆樹木の中には、被爆した場所から移植された木も多くあります。この松は爆心地から約1.1kmの民家で被爆。近くの竹林や庭の柿などの高木が立ち枯れる中で、当時樹齢17年の松は奇跡的に生き延びました。被爆40年目の昭和60年、長崎市内の造園業、池田操(みさお)さんが長崎市に寄贈されました。今も緑生き生きと生きています。

【被爆を伝える―家族への思い】
池田さんは中国・上海で兵役に従事していたため、被爆を免れました。しかし、昭和21年1月、中国大陸から復員してみると、家族全員が亡くなっていました。実母、愛する妻と生後8か月の長男ら家族5人。池田さんは、原爆で失った家族の形見として大切に育てられていましたが、「被爆者同様に原爆に耐え、生き抜いたこの松を多くの人に見てもらいたい」と寄贈されました。松のとなりには、同じく池田さんが寄贈されたツツジが立ち、毎年ピンク色の花を咲かせています。
※参考資料:五葉松そばの記念石、『被爆建造物等の記録 植物』(長崎市,平成8年3月25日発行)

【この木に会いに行こう!】
JR長崎駅から路面電車「赤迫(あかさこ)」行で「浜口町」電停下車、徒歩約5分 。原爆資料館の庭園内。

【解説】Aランク:原爆の熱線、爆風及び放射線により破壊、または著しく影響を受け、原爆のすさまじさを感じさせる<こん跡>のあるもの、著しいこん跡は認められないが、当時の社会的状況をとくに強く示唆するもの。(「長崎市被爆建造物等の取り扱い基準」保存対象のランク付けの基準より抜粋)

≪DATA of A-Bombed Trees≫
Japanese White Pine/Nagasaki City - Peace & Atomic Bomb Museum
1100m from the hypocenter
botanical name:Pinus parviflora
age: 70 years old over
height:? m.
surroundings:?m
address:7-8 Hirano-cho Nagasaki-city
This tree survived the atomic bombing of Nagasaki, about 1100m from the hypocenter. The tree is standing in the garden of the Peace & Atomic Bomb Museum. There are other A-bombed trees, including a Azarea. June,2017 Shooting
 
★Let's go to see this tree !
5 minute walk from the Hamaguchi-cho station.

14CC5CB3-EB7A-4C48-B710-AB8778594974_R.JPG五葉松の根元にある記念石。


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