№41 鶴羽根神社のイチョウ in ヒロシマ
"つるはねさん"のシンボル的存在
被爆した石鳥居、石橋の上に立つとちょうど真ん中に
A-bomebed Ginkgo tree in HIROSHIMA
▼爆心地からの距離:1,810m/広島市東区二条の里2-5-11▼イチョウ科・落葉高木
▼樹齢70年以上
▼樹高:不明 幹周り:不明
【木の特ちょう―被爆石鳥居と一緒に】
鶴羽根神社のシンボルとして、地元の人々に親しまれているイチョウの大樹。本殿の向こうにひと際大きくそびえています。原爆を乗り越えて、今も毎年、秋には美しい黄金色に染まります。広島駅方面から二葉の里の散歩コースを歩いていると、東照宮を越えた辺り、二葉山のふもとに金色に染まったイチョウが見えてきます。2016年11月撮影
【被爆を伝える】
鶴羽根神社は鎌倉初期から広島市東部の氏神様。原爆を乗り越えた石鳥居をくぐると3本の被爆樹-クロマツ、クスノキ、イチョウが見えてきます。原爆投下により、社殿一切は倒壊したが、焼失は免れました。石鳥居、石の太鼓橋、手水舎、唐獅子、石燈籠などが当時のまま残っています。
【この木に会いに行こう!】
広島駅北口より徒歩約15分。二葉の里の散歩コースにあり。
≪DATA of A-Bombed Trees≫
Ginkgo tree/Tsuruhane-jinja-shrine
1810m from the hypocenter
botanical name:Ginkgo biloba
age:? years old
height:? m
surroundings:?m
address:2-5-11 Futabanosato Minami-ku,Hiroshima city
This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1810m from the hypocenter.
★Let's go to see this tree !
15minute walk from the Hiroshima station. There is this tree in Tsuruhane-jinja-shrine There are other A-bombed trees, including a pines and camphor tree
№42 宝勝院のボダイジュ in Hiroshima
被爆後、黒焦げのボダイジュは早いうちに芽吹き、
多くの人に生きる希望を与えました
A-bomebed Bohdi tree in HIROSHIMA
【あ、芽が出てる!】Tiny green buds growing out of burnt trees
▼爆心地からの距離:1,820m/広島市中区白鳥九軒町12-4 境内
▼シナノキ科・落葉高木】
▼樹齢約300年、樹高:2.5mの親木は枯死し、現在、ヒコバエが生長している!
【木の特ちょう―ヒコバエが育つ】
戦前、境内には2本の兄弟ボダイジュが立っていました。原爆投下後、ボダイジュは早いうちに芽を吹き返し、多くの人に生きる希望を与えました。当時、「70年間、草木も生えない」と新聞に記事が出て、もう広島で生きていけないのではないかと、宝勝院のご住職、國分一家は四国の親戚を頼ってこの地を離れることも考えていました。しかし、境内ではボダイジュが芽生え、畑では里芋も芽を出し、「大丈夫だ、ここで生きていける」とこの地でお寺を再建することを決めました。2015年4月撮影
【被爆を伝える】
1956(昭和31)年、兄弟ボダイジュの1本を広島平和記念公園に寄贈。境内に立つボダイジュはすでに枯死しましたが、同じ根から出たヒコバエが次々と芽生え、そのうちの元気な数本が大切に育てられています。原爆を知るボダイジュは生き続け、ヒロシマで何が起こったか?を伝え続けていきます。境内では「被爆ツバキ」も毎年、赤やピンクの花を咲かせています。
【この木に会いに行こう!】
広島駅から徒歩約20分。路面電車「白島」駅から徒歩10分。
≪DATA of A-Bombed Trees≫
Bohdi tree/in Hoshoin Temple
1,820m from the hypocenter
botanical name:Tilia Miqueliana
age:about 300 years old
height:2.5 m
address:12-4 Hakushima-kukencho, Naka-ku, Hiroshima
This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1,820m from the hypocenter.
Before the War, there were two bohdi trees in Hoshoin Temple. The Atomic bombed bohdi trees put forth new shoots in the burnt-out ruins of the temple, encouraging people to have hope for the future. Mr.Kuniwake and his father rebuilt the temple in the same place. They donated one of trees to Hiroshima Peace Memorial Park in 1956. Although the bohdi tree in the temple died 2 years ago, and the trunk was weak, the new bohdi tree from the same root has grown.
★Let's go to see this tree ! 20 minute walk from the Hiroshima station. There is this tree in Hoshoin Temple. There is other A-bombed trees, including a camellia.The tree also bloom every year.
被爆当時16歳だった名誉住職、國分さんから譲っていただいたボダイジュの種。プロペラのような羽根が特徴です
№42 宝勝院のツバキ in Hiroshima
かつては5メートルの高さがあったツバキ、
被爆の翌年芽生え、今も花を咲かせています
A-bomebed Camellia in HIROSHIMA
【被爆樹 花めぐり】
The flowers in the atomic bomb-scorched earth. Let us go to see the Atomic Bombed flowers!
▼爆心地からの距離:1,820m
▼所在地:広島市中区白鳥九軒町12-4
▼ツバキ科・常緑高木
▼樹齢約400~500年、樹高:2メートル 幹周り:5本立ち
【木の特ちょう―根元にウロがある】
樹齢400年以上という八重咲きの赤いツバキ。原爆によって、ツバキは根元近くまで燃え、黒焦げになりました。根元に大きなヤケドあとがあり、えぐれたようなウロになっていますが、翌年、ツバキは芽吹き、やがて花をつけるようになりました。今でも毎年、枝いっぱいに花をつけています。2017年4月撮影
【被爆を伝える】
被爆直後、「70年間、草木も生えない」と新聞に記事が出て、当時のご住職と、16歳だった現名誉住職の國分良徳さん一家は、「もう広島で生きていけないのではないか」と四国の親戚を頼って、この地を離れることも考えていました。しかし、境内では早いうちにボダイジュの木が芽生え、畑では里芋も芽を出し、「大丈夫だ、ここで生きていける」とこの地でお寺を再建することを決めました。ボダイジュも広島市登録「被爆樹木」となっています。
【この木に会いに行こう!】
広島駅から徒歩約20分。路面電車「白島」駅から徒歩10分。
≪DATA of A-Bombed Trees≫
Camellia/in Hoshoin Temple
1,820m from the hypocenter
botanical name:Camellia japonica cv.
age:about 400-500 years old
height:2m
address:12-4 Hakushima-kukencho, Naka-ku, Hiroshima
This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1,820m from the hypocenter.
Before the War, there were a tree in Hoshoin Temple. The Atomic bombed camellia put forth new shoots in the burnt-out ruins of the temple, encouraging people to have hope for the future. Mr.Kuniwake and his father rebuilt the temple in the same place.
★Let's go to see this tree !
20 minute walk from the Hiroshima station. There is this tree in Hoshoin Temple. There is other A-bombed trees, including a Bodaiju(Tilia miqueliana).
№44 三篠神社のボケの花 in Hiroshima
焼け野原となった鎮守の森で、
唯一生き残ったボケの花
A-bomebed quince in HIROSHIMA
【被爆樹 花めぐり】The flowers in the atomic bomb-scorched earth. Let us go to see the Atomic Bombed flowers!
▼爆心地からの距離:1,850m/広島市西区三篠町1-11-5
▼バラ科・落葉低木
▼樹齢70年以上 樹高:1.5m 枝張り:1m
▼開花時期:3月末~4月初旬
【木の特ちょう―毎春、花を咲かせる】
原爆が落とされる前は、樹齢300年のエノキ、ムクノキ、クスノキなどが青々と茂る美しい鎮守の森でした。1945年8月6日、木々はことごとく焼失し、木に棲んでいたフクロウやムクドリなど動物や鳥たちも焼け死んでしまいました。すべてが焼き尽くされたと思われていましたが、原爆投下の翌年のこと、土の中から芽が出てきたのが見つかりました。「おう、このボケは生きとるわ!」根の力が残っていて、芽吹くことができたのです。それ以来ずっと、ボケの木は大切に見守られてきました。芽の数を増やし、今では細い幹の数十本が1本の太い幹のように見えるほどに成長し、毎春になると美しい花を咲かせます。白、ピンク、オレンジ色、白と紅の混ざった花・・・など、さまざまな色が一緒に咲いています。3月下旬頃から満開になります。宮司の野上さん(故人)「日の明るいうちにいらしてください。14時頃までかのう。花びらが太陽の光で透き通って、とてもきれいですからね」とアドバイスをいただきました。2017年4月3日撮影
【被爆を伝える】
当時、小学6年生だった宮司の野上さんは、父親と一緒にこの地に「鎮守の森」を取り戻すことを決めました。何から始めたと思いますか? クスノキの種を畑にまき、苗木を育てることから始めたのです。種は、樹齢500年の夫婦クス(広島市西区・新庄之宮神社)から採取したものを分けてもらいました。境内にはハリエンジュ、イタリアポプラ、椿、梅なども植えて育つのをじっと待ちました。植えると言っても、今のような園芸店から苗を買ってくるわけではありません。野上少年と父親、知り合いのおじさんの3人で、山の中や斜面に生えた木を掘り起こし、長い道のりを大八車で境内まで運び、植えたそうです。被爆樹木のクスノキもこのとき献木されたものです。
鎮守の森らしい境内を取り戻したのは昭和40年頃。種から育てたクスノキも今や72歳を迎えます。幹周り3メートルにまで成長して、境内いっぱいに葉を繁らせています。注連縄のある木はほとんどが当時、宮司さんたちが運んで植えた木。今も元気に育つ姿を見てください。
【この木に会いに行こう!】
路面電車「横川」下車、徒歩5分。
≪DATA of A-Bombed Trees≫
Japanese quince/Misasa Shrine
1,850m from the hypocenter
botanical name:Chaenomeles speciosa
age:about 70 years old
height:1.5 m
address:1-11-5 Misasa-machi, Nishi-ku, Hiroshima city
This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1,850m from the hypocenter. The quince blooms in spring and bears fruit by summer. Mr,Nogami and his father had regained Chinju-no-Mori (Sacred Shrine Forest)
★Let's go to see this tree !
5 minute walk from the Yokogawa station. There is this tree in Misasa shrine. There is other A-bombed tree, including a camphor tree.
広島市登録の被爆樹木にはプレートがつけられています。
№44 三篠神社のクスノキ in Hiroshima
鎮守の森を取り戻した神社の
境内で生き続ける樹齢120年の木
A-bomebed Camphor tree in HIROSHIMA
【木の特徴―幹に空洞、ヤケドあと】
社殿前に立つ被爆クスノキ。樹齢は約120年。注連縄がはられ、ご神木として親しまれています。幹には火災で焼かれたヤケドのあとがあり、幹には空洞があります。樹皮は苔むして、ノキシノブ、セッコクなどに覆われ、古木の風格を漂わせています。
原爆投下後、焼きつくされた境内に「鎮守の森」を取り戻そうと、植えた木々の1本です。神社近くの民家に立っていた兄弟クスを譲りうけたそうです。(もう1本は三篠小学校の校庭内に立ち、こちらも被爆樹木№43として保護されている)。
このクスノキは被爆による空洞や傷あとが目立ちますが、枝葉がどんどん繁るため、年に一度、枝を伐り落とすことで保護しています。この伐られた枝を持ち手に使って、2023年、熊野の化粧筆が作られました。
【被爆を伝える―焼け野原から鎮守の森を取り戻した宮司さん】
当時、小学6年生だった宮司の野上さん(故人)は、父親(当時の宮司)と一緒に、この地に「鎮守の森」を取り戻すことを決めました。「森を育てないと何も始まらない」と思ったからです。クスノキの種を畑にまき、苗木を育てることから始めました。その種は樹齢500年の夫婦クス(広島市西区・新庄之宮神社)から採取したものをゆずりうけました。
それから植樹。焼きつくされた境内に、成長の早いイタリアポプラ、ハリエンジュ、日本ならではの椿、梅なども植えました。植えると言っても、現在のように園芸店から苗を買ってくるわけではありません。野上少年と父親、知り合いのおじさんの3人で、山の中や斜面に生えた木を掘り起こし、長い道のりを大八車で境内まで運び、植えたそうです。化粧筆となった被爆クスノキはこうして植えられた木の1本です。
木々が育つのをじっと待って、待って、鎮守の森らしい境内を取り戻したのは昭和40年頃といいます。種から育てたクスノキも今では幹周り3メートルにまで成長して、境内いっぱいに葉を繁らせています。
長い歳月をかけて、鎮守の森を取り戻した野上さん家族。登録されているクスノキだけでなく、被爆を伝える木がたくさん立っているのが三篠神社です。注連縄のある木のほとんどが当時、宮司さんたちが運んで植えた木。今も元気に育つ姿を見てください。
【この木に会いに行こう!】
アクセス:広島電鉄電車「横川」下車、徒歩5分。
≪DATA of A-Bombed Trees≫
Camphor tree in Misasa Shrine
1,850m from the hypocenter
botanical name:Cinnamomum camphora
age:about 120 years old
height:15m
address:1-11-5 Misasa-machi, Nishi-ku, Hiroshima city
This tree survived the atomic bombing of Hiroshima, about 1,850m from the hypocenter. At 8:15 a.m, August 6,1945,Hiroshima was burned by the blazing heat of the atomic bomb. It had been rumored that"nothing will grow in Hiroshima for 70 years".Mr,Nogami and his father had regained Chinju-no-Mori (Sacred Shrine Forest)
★Let's go to see this tree !
5 minute walk from the Yokogawa station. There is this tree in Misasa shrine. There is other A-bombed tree, including a Japanese quince.